0:00

GUIDE 02

滞在時間11:15-11:30

Length of Stay11:15-11:30

東村山縁起巡り ******

新宿発 東村山市・埼玉県所沢市 From Tokyo to *****

大善院(豆まき) ******

GUIDE02

大善院 ******

大善院は、もともと八王子市大月町の円通寺の塔頭でしたが、明治8年に暴風で倒壊してしまい、資金面から再建が困難でした。9年間の空白期間を経て、仮本堂が建てられました。
東村山周辺の檀信徒の希望により、明治32年に移転願を提出し、現在の場所に移転しました。現在の本堂を建立し、初代に慈善和尚を迎えて開山しました。地域では、「野口のお不動様」と呼ばれ親しまれています。
境内には、本堂、不動堂、水子地蔵堂が建ち、築山および三十六童子像が安置されています。不動堂は、大正末から昭和初めのころに建立され、築山および三十六童子は昭和5年に寄付されたものです。築山は高さ7メートルほどで、頂上には不動明王が鎮座し、その下に眷属の三十六童子が鎮座しています。三十六童子の名前をすべて唱えると広大無辺の利益が得られるとされます。
2月3日の節分には、力士が豆まきに登場し、たいへんな盛り上がりを見せます。境内では、居囃子の舞台を設営し、野口八坂神社囃子連の会による祭囃子も実演され、賑やかさに彩りを添えています。
*****

<もっと知りたい!深掘り>
~「節分の豆まき」の歴史~

 節分とは立春・立夏・立秋・立冬の前日を意味し、その中でも立春の前日としての節分に行われる風習としてはいくつかあり、最も一般的といえる鬼払いの風習は、中国の風習を由来とする平安時代の追儺(ついな)、鬼遣(おにやらい)と呼ばれた宮中行事を元としているとされます。

 節分に豆まきを行った文献が見られるようになるのは南北朝時代以降のこと(『看聞御記』や『花営三代記』など)です。中国の『漢旧儀』によると漢代に厄除けや魔祓いのために小豆や五穀を撒く風習があったとしています。平安時代には散米と称して米を撒く風習が広くみられました。

 豆は、「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰、または語呂合わせで「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがあると考えられています。
******

GUIDE 03 /武蔵野うどん

GUIDE 03 /Udon

GUIDE 01 /東村山いちご村

GUIDE 01 /Ichigo

大善院 *****

〒189-0022 東京都東村山市野口町4丁目16−1 *** 189-00221, Japan

http://www.tendaitokyo.jp/jiinmei/daizenin/